得るもの失うもの(交通編)
今日、ちきりんさんのブログ「得るモノ失うモノ」を読んでいて、ふと思うことがありました。
それは、自分の運転免許に関すること。
私の運転免許は、ゴールド免許です。しかもこれで4回連続です。違反で罰金払ったことなんて、はるか昔、20代前半の頃のこと。
それ以来、事故はもちろん、違反もありません。
もちろん、ヒヤッとしたことも何度かあります。先日も、目の前を自転車の高校生がスーッと横切って、思わず急ブレーキ。
自転車の彼は、何事もなかったかのように、涼しい顔で通り過ぎていきました。
左右の確認もせず、平気で車の前を横切って走り去っていった高校生に向かって「バカヤロー」と叫びたくもなりましたが、なぜか出てきた言葉は「神様ありがとう」でした。
さて、話をちきりんさんのブログに戻して、このブログの中では「得るものと失うもの」について書かれています。
ちょっと引用すると
自分にとってどうでもいいことなら、どんどん人を助けてあげればいいし、譲ればいいのです。それはいわば「世の中に貯金する」行為です。
という文章。
さて、私の運転免許の話と、このブログはどういう風につながるのかというと、私は運転するときに心がけていることがあって、
1.横断歩道で人が待っていたら、必ず停止する
2.脇道から車が出てきたら、譲って入れてあげる
3.前の車との車間を広めに取る
です。
つまり、相手の人が喜ぶようなことをするということを心がけているということ。
これがいわゆる「世の中に貯金する」という行為なのかな。
例えば、横断歩道で止まってあげるというのは、一旦停止して、また走り出すので、面倒といえば面倒です。しかも、そこで止まったせいで、その先の信号が赤になってしまうかもしれない。後ろを走っている車は「なんでそんなところで止まるんだ」と思うかもしれない。
でも、横断した人が「ありがとう」と言ってくれたらうれしいでしょ。
前述の2と3も同じ。
もしかして、自分が譲って入った車のところで信号が赤になっちゃう可能性もある。
この場合の「失うもの」というのは「時間」。
でも失う時間なんて、ほんの数十秒からほんの数分でしょ。
もし事故を起こしてしまったら、そっちの方がよっぽど失うものが大きい。
この「世の中貯金」があるから、事故になりそうなところで寸前に停止できたり、警察が取り締まりをやっている場所が事前に直感でわかったり、急いでいるときに全部の信号が青だったりするのかなと思ってます。もちろん自分の勝手な解釈ですけど。
逆に、やたらと後ろから煽る人、絶対に人や車に道を譲らない人は、貯金どころか借金になって、いずれ交通事故や交通違反という形になって、返済を迫られるのでしょうね。
何かを得たいと思ったら、与えるべし。