甲子園の思い出
私のブログはスキーの話がメインなんだけど、高校野球のシーズンなので、そのことについてちょっと書いてみたいと思います。
先に言っておくと、私は野球部の経験はありません。
少年時代に友達と空き地で三角ベース野球(←知ってますか?)を楽しんだぐらいです。
野球選手の気持ちはわかりませんが、私の高校時代の思い出を書きます。
昭和のころと違って、今はどこの都道府県も強豪私学が全国大会いわゆる甲子園の常連校になってますね。
昭和の時代は県立高校が甲子園で優勝するなんて、ザラにありましたよね。
私は田舎の県立高校の生徒だったし、野球部でもなかったので、甲子園は無縁だと思っていました。
ところが私が高校2年生の時(昭和58年の話です)、自校の野球部が快進撃をはかり、とうとう夏の県大会の決勝まで勝ち進んでしまいました。
しかし相手は甲子園でも名の通った有名校(松井秀喜君の母校です)だったので、私はおそらく勝ち目はないと思ってました。
でももちろん野球部員は勝つと信じて試合に臨んだと思います。
結果は…なんと逆転勝ちで甲子園出場を決めてしまったのです。
創部わずか5年で甲子園初出場。
そりゃあもう町じゅうが大騒ぎ。新聞で号外も出たし。
学校もパニック。
うちの学校には応援団なんてなかったもんだから、声のでかいやつを集めてきて、即席で応援団作って、夏休み返上で応援練習。
ブラスバンド部はあったけど、ふだん野球部の応援に出てくることもなかったので、試合当日までの練習大変だったろうなと思います。
選手たちの遠征費、応援のためのバス代など、寄付金の要請もありました。
私は陸上部だったので「野球部ばかりいいな~」なんて思ってましたが、甲子園で自校の応援できることなんて人生でおそらくないと思っていたので、彼らには感謝してます。ハイ
甲子園では残念ながら一回戦で敗退。
相手が強すぎて、コテンパンにやられました。
その相手も公立高校でしたが、4強まで行きましたね。
甲子園のアルプススタンドはとても暑かったけど、よき思い出です。
あれから来年で40年。
2度目の甲子園出場は果たせるのでしょうか。
もし果たすことができたら、喜んで母校の応援に行きますよ。
39年前の試合の映像がYou Tubeで見られるんですね。
当時の選手は感激ですね。